昼間の喧騒から一転して静まり返った夜のキャンパスで、力学や電磁気学、熱力学といった複雑な自然科学の真理と向き合う。そんな静謐でありながら熱を帯びた時間は、実は140年以上前の創立当初から続く、理科大の原風景です。

 1881年(明治14年)、現在の東京理科大学の前身である「東京物理学講習所」が産声を上げました。設立を知らせる広告が出された6月13日、そして開校に向けて動き出したこの時期は、現在も記念日として本学の歴史に深く刻まれています。

 彼らはなぜ、何もない夜の教室で物理を教え始めたのでしょうか。そこには、現在の「実力主義」へと繋がる、若き理学士たちの圧倒的な情熱がありました。

1. 無給の夜学と、毎晩「借用・返却」を繰り返した実験機材

 本学の創立者は、東京大学(旧東京帝国大学)理学部物理学科の初期の卒業生ら21名です。平均年齢わずか25歳。官公庁などに公務の職を持っていた彼らは、「理学の普及を以て国運発展の基礎とする」という理想を掲げ、仕事終わりの夜間、無給で学生たちの指導にあたりました。

 当時の環境は、現在からは想像もつかないほど過酷なものでした。教室は小学校の間借り。さらに、「試験観察を通じての教育」を重んじた彼らが授業で使うための実験器具は、自前で用意することができませんでした。 そのため、当時、現・東京都千代田区(神田一ツ橋周辺・現在の学士会館の地)にあった東京大学理学部から夕刻にわざわざ機材を借用し、夜の授業が終了すると同時に、その日のうちに再び返却するという方法がとられていたのです。毎晩、暗い道で機材を抱えて行き来する、途方もない労力と情熱がそこにはありました。

2. 学校を救った自腹の「維持同盟」

 開校から数年後、学校は深刻な財政難に陥り、存続の危機に直面します。この窮地を救ったのもまた、創立者たちの自己犠牲を伴う熱意でした。

 16名の創立者が結束して「維持同盟」を結び、一人30円(現在の価値で数百万円相当)という多額の寄付を出し合いました。さらに、週2回の無償講義を義務付け、「都合で講義に出られない時は理由を問わず25銭を罰金として支払う」という厳しい規則までも自らに課したのです。

 縁故や財力ではなく、純粋に真理を探究する「実力」を育てる。そのために文字通り身銭を切り、時間を捧げた先人たちの執念が、現在の理科大の礎となっています。

3. 時を超えて繋がる数式

 140年前の夜学で黒板に書かれていた数式は、現代の私たちがノートやタブレットに記しているものと本質的に同じです。先人たちは、限られた時間と機材のなかで、これらの「自然界の絶対的なルール」を日本に根付かせようとしました。

【運動方程式 Equation of Motion】

ニュートンから始まり、当時の物理学の根幹をなしていた力学。あらゆる物体の運動は、このシンプルで美しい方程式に支配されています。

md2𝒓dt2=𝑭m \frac{d^2 \bm{r}}{dt^2} = \bm{F}

【マクスウェル方程式 Maxwell`s Equation】

創立者たちが生きた19世紀後半、まさに世界で確立されようとしていた最先端の電磁気学の集大成です。電気と磁気、そして光が同じものであることを示すこの4つの美しい方程式は、現代のあらゆるテクノロジーの基盤となっています。

𝑬=ρε0\nabla \cdot \bm{E} = \frac{\rho}{\varepsilon _0}
𝑩=0\nabla \cdot \bm{B} = 0
×𝑬=𝑩t\nabla \times \bm{E} = – \frac{\partial \bm{B}}{\partial t}
×𝑩=(𝒋+ε0𝑬t)\nabla \times \bm{B} = – \left( \bm{j} + \varepsilon_0 \frac{\partial \bm{E}}{\partial t} \right)

【熱力学第二法則】

エネルギーは形を変えても総量は変わらず、しかし決して完全に元には戻らない。産業革命以降の熱機関の発展を支えたエントロピーの法則です。

dS=dQTdS = \frac{d \prime Q}{T}

 

時代が変わり、学ぶツールが石筆から最新のデバイスへと進化しても、先人たちが伝えたかった「自然の理を数式で解き明かす」という哲学は、今もこのキャンパスの夜に息づいています。

参考文献

東京理科大学 公式Webサイト「沿革」・「維持会」

学校法人東京理科大学の沿革(公式PDF資料)

東京大学大学院理学系研究科・理学部「沿革」(1877年創立時の神田一ツ橋校舎に関する記録)

千代田区神田錦町・学士会館敷地内『我が国の大学発祥地(東京大学発祥の地)』記念碑碑文