雨の日に、窓の外にコップを置いて雨滴を溜めている人がいる。
秋、家を出ると、しとしとと雨が降っている。昨日使った傘はまだ湿っていて、少し重たい。開くとネームベルトが撥(は)ねて顔に水がかかる。ああもう、と思いながら鞄からハンカチを取り出して顔を拭き、今度はそれを胸ポケットに仕舞う。小さく溜め息を吐いて歩き出す。
小さな庭を過ぎて道に出る。右に進んで突き当りを左に、と曲がりかけたとき、正面の家の窓から手が出てくるのが見えた。
思わず立ち止まると、革靴の音が止んだのに気付いて、その手の持ち主がこちらを見た。色の白く、細身の女性だ。彼女はこちらに少し微笑んで、すぐに手を引っ込めた。手があったところには、水色の陶器のコップがあり、窓の縁から落ちる雨を受け止めている。
それから雨の日は、つい気になってその家の窓を見てしまう。朝の通勤時間と彼女がコップを置く時間が同じなようで、時折目が合っては会釈をした。
ある日曜日、買い物帰りに雨が降り出し、慌てて走って家に向かう途中で洗濯物を取り込む彼女と目が合った。お互いに「あっ」と声を出してしまって、私は足を止めた。
「あの、よろしければ、雨宿りしてってください」
「ああ、……ではお言葉に甘えて」
入ると、うっすらラベンダーの香りが漂っている。勧められるがままに木の椅子に座り、出された紅茶を飲む。
「すこし昔話、聞いていただけますか」
「ええ」
彼女はおもむろに語り出した。
「私ね、息子がいたんです。二十五で産んで、二人で育てて、五年前に結婚して家を出ていきました。きれいな娘さんをもらって、それはそれは幸せそうで。……でも、その一年後に、新婚旅行中に事故に遭ってしまったんです。それで、近くで見てた人がね、ぐったりした息子の目から涙が流れるのと一緒に雨が降り出したって、教えてくださったんです。だからそれ以来、雨はね、息子の涙だと思って、勿体なくて、……溜めたのを、晴れた日に庭の花にあげるんです。とってもきれいな花が咲くんですよ」
秋の雨は、静かに、静かに降り続いている。庭に色とりどりのコスモスが咲いていたのを、思い出している。