【理研 和光地区 一般公開2018①】

理研の歴史 2018/05/22

日本の最先端の科学を研究してきた理化学研究所。その創設は1917年と古く、昨年で設立100周年を迎えた。戦前・戦後と、日本を科学技術立国として確立させた裏には、理研に所属した数々の研究者による研究の成果にほかならない。日本の科学の第一線を研究してきた理研の100年のあゆみについて振り返ってみる。

理研が設立されるまで、自然科学を研究する研究所は日本には存在しなかった。20世紀初頭、欧米諸国には財閥や国による学術研究機関が存在していた。当時の化学者、高峰譲吉(たかみね じょうきち)氏は日本における科学研究所の必要性を唱え、財団法人理化学研究所の設立を果たした。

創設以来、理研では数々の優秀な研究者を輩出してきた。特に仁科芳雄(にしな よしお)氏は、日本の原子核物理、素粒子、宇宙船などの近代物理学の分野を確立した。

また、第3代所長、大河内正敏(おおこうち まさとし)氏は産学複合体「理研コンツェルン」を完成させた。理研コンツェルンとは、理研の研究成果を社会に還元させるためにさまざまな分野において企業を設立した。当時の三井、三菱、住友などの財閥と肩を並べるような産業集団となり、日本の科学技術の発展に大きく貢献した。

また、大河内氏は後に、本学の前身である東京物理学校の校長となる。理研での研究成果を産業だけでなく、学生にも還元し、将来の日本の科学者の育成にもつながった。

第3代所長の大河内氏の他にも、理研と本学には戦前からつながりがあった。日本の磁性研究の第一人者である本多光太郎氏は、本学の初代学長を務めた。また80年代、本学を全国規模に拡大した理事長の橘高重義(きったか よしたか)氏も理研に所属していた。また、今年度就任した松本洋一郎学長も、今年3月まで理研の理事を務めていた。

戦後、理研ではノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏や朝永振一郎氏をはじめとする数々の優秀な研究者を輩出した。2016年には、理研の森田浩介所長らによる113番目の新元素の発見が認められ、「ニホニウム」と命名された。新元素の発見した国は、日本がアジア初となった。理研がこれまでに積み重ねてきた研究成果は、これからも日本の科学技術を支えていくことであろう。