企画

【コラム大会優勝作品】責任

幽霊の存在を認識しているか?私はしている。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)

「春と修羅」の一節。宮沢賢治は後に、有機交流電燈を因果交流電燈に言い換えた。因果とは連続することであるから、
今ある自分は人生の連続の内に位置づけられる。
と引用文を解釈できる。そこに賢治は幽霊の複合体を見た。
大学が始まり、様々な人がいた。「始まり」に怯え、殻にこもる人。「始まり」に浮かれ、ずっと呑んでいる人。「始まり」に惑わされ、自分を見失う人。
しかし、「始まり」もまた人生という連続した文脈の一瞬にすぎない。すなわち今、「始まり」に立つ自分は結局、過去の自分の延長である。それなのに彼らは「始まり」にばかり焦点を当て、過去の自分を認識しない。過去の自分を死者として扱う。過去の自分は死んではいない。幽霊として存在し続ける。過去の自分は影響できないにしても、期待して今の自分を見つめている。今の自分が未来の自分を見つめるように。
賢治はこのことを春と修羅の「序」に書いた。自分も今「始まり」の時期に強調したい。過去の自分を裏切らないことを。幽霊は今も見つめている。

(げんまい)

※コラム大会とは新聞会が毎年、新入部員向けに行うイベントで、部員の投票により優勝作品を決めている。