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重松清「かあちゃん」

  • 2009-12-24 (木) 10:56
  • 書評

「むこうが悪いんだ」「私には関係ない」「やらされてたんだ」、どんな言い訳を並べても人をいじめる理由にはならない。そして、そのいじめという行為は、やってしまった以上、決して許されることのない行為なのだ。

題名からは想像し難い内容ではあったが、いじめを「許す」ことではなく、いじめを決して「忘れないこと」を教えてくれた。「忘れない」ということがどれだけ大切なことなのか、本書を読んでみれば自ずと答えが見えてくる。

そして、これらのいじめ問題に並行しながら描かれる「かあちゃん」達。世の中にはいろんな「かあちゃん」がいて、その誰もが違うけど、その誰もが温かい。この世に生を受けた瞬間、一番初めに出会う人間が「かあちゃん」だ。だから、この世界で一人になる人間なんていないのだ。必ず「かあちゃん」がいる。神様もよく考えている。そんな「かあちゃん」達がいじめ問題とどう絡んでいくのか、そんなところも読み所だ。

また、この作者に若者の胸の内を語らせたら、右に出るものはいない。中学生の俺が見たら発狂してしまいそうなくらい、頬を赤らめてしまうような内容が盛りだくさんだ。大人になっても少年少女の心を忘れず書き連ねることのできる作者に、なぜかファン精神が湧いてしまう。

いじめを知らない人間はいないと思う。加害者であったり、被害者であったり、はたまた傍観者であったり。早ければ小学生に上がった直後くらいで、これらのカテゴリーに属されてしまうことだってある。だからこそ、目を背けてはならない。じっくり考えて、決して忘れてはならない。心に刻むなどはしなくていい、決して忘れなければいい。簡単で、だけどやっぱり難しくて、とっても大切なこと。この本が教えてくれた大切なこと。

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